大誠窯
今から200年以上前の1861年に創業の大誠窯。
現在6代目 大塚邦紀氏と7代目 大塚誠一氏が職人たちと共に益子の伝統的な焼き物作りをしています。
濱田窯と共に益子を代表とする大誠窯。創業当時より代々登り窯を用い、窯元が数多くある益子の中でも最も大きな登り窯を使用しています。窯は年に何度となく入れる火で傷むため、定期的な補修が必要となります。きれいに手入れされた大誠窯の登り窯も、他の地方の登り窯同様に主にレンガと土を使った素朴でシンプルな作りです。同じくその土地の土を材料とし熟練した陶工により形作られた「造形物」が、最後は火の力を借りてこの登り窯で「器」として完成されます。また、食器として幾度となく使えるように籾殻や木の灰などを漉して釉薬を作り、汁気のあるものが漏れないようにと釉薬という名の膜がかけられます。窯の中では還元や酸化といった化学反応を利用して釉薬の色の変化をもたらし、火は器の強度を高めていきます。商品となって店頭に並ぶ器を見てもその工程はなかなか容易に想像できませんが、一つ一つがこういった古代から伝わる工程を基礎とし、自然の恵みと人間の知恵と技術をもとにできているのだと工房を拝見すると改めて感じます。
その自然が作り出すシンプルながら神秘的とも言える昔ながらのものづくりに敬意を表し、追求の手を休めない7代目の大塚誠一氏。古陶磁や骨董にも造形が深く、コレクションの数は増えるばかりのようです。力強さとどこからともなく感じる面白さ。陶器に限らず大塚さんが集めるものにはご本人から放たれるものと同じ力強さとユーモラスを感じます。
益子の伝統的な焼き物を200年以上続く窯元として継承しながら、7代目の溢れんばかりの好奇心。面白い窯だなぁと思っていましたが、実際には6代目 大塚邦紀氏も6代目の奥様もそして7代目の奥様も皆さんとてもユニーク。とにかく皆さんパワフルでよく喋り元気!家族間でも会話が多く、親子の関係性も対等でいて支え合い仕事が生活になり生活が仕事になるといった様子。互いのことに興味がないのか尊敬をしているのか、その様子が見ていて何とも面白いのです。6代目が夕方の暗くなってきた工房でお孫さんをおんぶしながら轆轤を回していることもありました。できる人ができることをする。とてもいい関係性だなと思いました。
6代目の大塚夫妻にはお子さんが3人いらっしゃいますが、お子さん全員をそれぞれ海外で勉強させたのだそうです。7代目の誠一さんはアメリカで勉強し、身にまとう空気感もどこか帰国子女のよう。物の捉え方も外野から見ているような面白い捉え方をします。200年以上続く伝統ある益子の窯元の後継者として生まれ伝統工芸を身近に感じながら育ち、アメリカに渡ったあとに日本に戻り、丹波篠山にある柴田雅章氏のもとで4年間の修行をしたのち大誠窯で仕事を始められました。面白いなぁと言いながら土を嬉しそうに触り、大誠窯のあちらこちらにいるアヒルや裏の子ヤギを撫で、ご自身のお子さんをまるで動物と同じような様子で接している誠一氏を見ていると、生活も自然も仕事も家族も全てが同じ土俵にあるような印象を受けます。この人はこの先どんなものを作るのかと見ていて楽しみになります。
左が6代目 大塚邦紀氏。右が7代目 大塚誠一氏。
いいでしょう!?
益子へ行かれた際には、ぜひ大誠窯へ立ち寄られてみてはいかがでしょうか。
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略歴
1861年 栃木県芳賀郡益子町に窯開
現在使用されている中では、益子最大規模の登り窯で柿釉・糠白釉・黒釉・飴釉・糠青磁釉といった益子伝統の釉薬を用いている。
現在、6代目 大塚邦紀氏とその息子である7代目 大塚誠一氏が窯を継承している。
7代目の大塚誠一氏は、丹波篠山の柴田雅章氏に師事した後、益子に戻り窯の仕事を引き継ぎながらも、地元の土と釉薬作りを昔ながらの手法で自ら作り上げ、造形および釉薬共に窯のものとは一角を成した昔ながらの自然をより身近に感じる力強い焼き物作りをしている。