穂生窯
新潟県新潟市生まれの井村詩帆(いむらしほ)さん。ものづくりに関わる仕事がしたいと、19歳までいた新潟を離れ栃木県益子町にある窯業技術支援センターで3年間焼き物の基礎を学ばれました。益子と言えば益子焼と皆さんが思い浮かべるほど、焼き物の文化においても知られている益子。そこで学ばれた後、沖縄の読谷村にある読谷山焼北窯 松田共司氏の門を叩き、8年間の松田共司工房にて修行をされました。その松田共司工房にて工房長を務められていた井村さん。当時も共司工房でお会いしていましたが、ろくろに向かう姿も作業ひとつひとつの姿も一人の人として真摯でかっこよく、真剣に焼き物に向かい独立という目標にぶれることなく学ぶ姿勢が印象的でした。その井村さんは30歳を目処に、沖縄とは気候的にも正反対と言っていいほど異なり土も釉薬の原料となる木材や植物もことなる生まれ育った新潟で独立して焼き物作りをしたいと修行を終え、新潟に戻り独立の準備を始められました。
そんな沖縄の修行時代に出逢われたのが、京都ご出身の廣兼史(ひろかねふみ)さん。沖縄の芸術大学で陶芸を専攻されていた廣兼さんは絵描きとして活動されていましたが、お二人は意気投合して井村さんが独立するのを機に、井村さんと新潟に渡りお二人で「穂生窯」を築窯されました。ロクロや打ち掛けなどの仕事は井村さんが担いますが、焼き物の仕事はそれだけではありません。薪窯に必要な仕事をお二人で分担されながら焼き物作りをされています。
数年前にはこの写真の窯から、少し大きい窯を作られました。穂生窯がある新潟県燕市は雪が降り積もる場所で、冬は雪かきに追われると言います。どうしてもその分実際の焼き物作りに携わる時間が限られてしまいますが、薪窯という煙が多くでる焼き物づくりは街中では行うことが困難です。そのため、この緑豊かな場所を選ばれたお二人。工房作りや窯周りの建築に、井村さんのご両親も力添えされ、また窯炊きの際には新潟のご友人が応援に足を運ばれている様子を拝見すると、お二人の真摯な仕事に向かう姿があるからだと実感します。
流行に流されたり媚びることなく、自分たちが目指す昔ながらの民藝らしい焼き物を作られる穂生窯。窯の仕事はまだ始まったばかりですが、大きくぶれることなく進む穂生窯の今後の仕事を引き続き気にかけて頂けたら幸いです。
なお、新潟のローカルウェブマガジン「Things」さんでは、新潟で活動されている方々をお一人お一人とても丁寧に紹介されています。こちらに、2022年にインタビューされた穂生窯の記事が掲載されていますので、どうぞご覧下さい。
https://things-niigata.jp/other/honarigama/
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