安比塗漆器工房
安比塗(あっぴぬり)と呼ばれる前は、その地名から荒沢漆器(あらさわしっき)と呼ばれる漆器がありました。
藩政時代から生活雑器の漆器を作っていた荒沢漆器は、普段の食卓はもちろん野良仕事にもカゴにガラガラと入れて持ち運び、昼食や休憩の際にも食器として使われていました。下地に撥水効果がある柿渋を塗りその上に漆を塗ったものでしたが、柿渋と漆の密着性がなく残念ながら剥離が見受けられていた雑器でした。そんな荒沢漆器も最盛期には500人いたと言われる安代の塗師も1970年代には数人を残すまでに減少し、高度経済成長期になると使い勝手のいいプラスチックに取って代わられ消滅してしまいます。
しかし、漆の産地として衰退することはなく、日本における国産漆の7,8割は岩手県の浄法寺地区で採取されていました。ここで採取される漆は、透明度・発色ともに良く、現在に至るまで硬度に優れた堅牢な品質で知られています。現在でも下地や中塗は中国産の漆仕上げをしても上塗りは浄法寺漆が使われるのは、堅牢な品質はもちろん発色の良さと塗りやすさだと言われています。
荒沢漆器が消滅した後も岩手県として漆器の産業を絶やすまいと県立工業技術センターに漆器専門の部署を残し、技師の指導のもと漆器の研修が行われていました。
ここに現在の岩手県の漆器を代表するお二人が入所されます。
後に安比塗として安代の漆器を復活させた写真の冨士原文隆氏が。そして少し遅れ、浄法寺塗を復活させた岩舘隆氏が入所されます。
この時には、すでに安代の荒沢漆器も浄法寺漆器も漆器の産地としてはほぼ消滅し、これまでの技術を復活させても品質が劣るため意味がありませんでした。そこで堅牢な下地に上質な地元の漆で仕上げる基礎を1975年から岩手県立工業技術センターの漆器部門で学んだ冨士原氏は、安代に戻り1983年4月に漆器の伝統を後世に伝え後継者育成を目的とする「安代町漆器センター(現:八幡平市安代漆工技術研究センター)」の設立に携わり、塗師の育成に尽力されます。そして漆器の伝統を絶やすまいと岩手における漆器の歴史の中で重要な役割を果たしていた漆街道を支えた安比川から名前を取り「安比塗」として生まれ変わり新たに歩み出しました。
下地としてまず生漆を塗り、その砥粉を混ぜた錆漆やベンガラを混ぜて中塗りをし、上塗りは自社で精製した地元の漆を用いて堅牢性を持った漆の塗り重ねの技法に塗り方を変え品質を高めました。
八幡平市安代漆工技術研究センターの役割は塗師を育成し、後世にその伝統を継承することです。一人前の塗師になるには10年かかると言われていますが、昔ながらの見て覚えるやり方ではなく、研究センターが基礎を丁寧に教えることで修行期間を短縮し塗師の後継者を育成しています。数値化できるものは数値化し、全国各地そして言語が異なる海外からの研修生も受け入れ塗師の育成をしています。
研究センターで学ぶ条件は、塗師を仕事にする志があるかどうか。研修期間は基礎課程2年、希望すればさらに1年専攻課程があります。基礎課程では、まず漆かぶれに慣れ、最初に道具の作り方を学びます。並行して、手板を使って木固め、下地、中塗りなどの技能練習をします。その後、お椀やお盆の塗りに入ります。2年目になると手板を使わず乾漆などにも取り組みます。2年間の研修期間の費用は、八幡平市が全額負担しています。
写真は、地元の漆を用い工房で精製している様子。
これらの工程も漆器センターで学ぶことができます。
安比塗漆器工房は、安比塗の製造販売を行う工房として1999年に設立されました。そして2017年には八幡平市の後押しもあり、研究センターの卒業生である塗師らにより「安比塗企業組合」が設立され、工房の運営および漆器という専門性の高い商品の量産と管理、全国各地への営業と販売が行われています。岩手県そして八幡平市の大切な産業として、着実な塗師の育成とふだん使いの安比塗漆器として、漆器を使う楽しさを多くの方に知っていただくことを目指されています。
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