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佐藤隘子工房
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昭和28年設立の倉敷手染手織研究所を2期生として卒業後、70年以上に渡り倉敷市内で手織りをしている佐藤隘子(さとういくこ)さん。
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現在は佐藤隘子工房として姪の武内総野(たけうちその)さんと共に活動されており、90歳をとうに超えご高齢の佐藤さんは現在制作を中断されています。
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武内総野さんは幼い頃から絵画や工芸に魅せられ、岡山大学教育学部の特美と呼ばれていた特別教科 美術・工芸教員養成課程をご卒業後、叔母の佐藤隘子さんに師事されました。特美と呼ばれたこの課程は、美術・工芸の教員養成を目的として1953年に設置されましたが、日展の審査員も務められた佐藤一章氏の尽力により、重要無形文化財の保持者であり人間国宝の磯井如真など社会的に高名な作家を次々と招聘し、非常に専門的な指導がされていました。卒業生の多くは美術・工芸の学校教員としてはもちろん、人間国宝となった太田儔氏など、作家としても多くの卒業生が精力的に活躍されています。
武内さんが織られているノッティングは武内さん考案の柄のため、佐藤さんとはまた図案も色合いも異なります。時にはアフリカの雰囲気が、時には北欧の温かみの雰囲気も感じられ、美術に造形の深い武内さんらしい温かみのある図案と配色になっています。
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倉敷本染手織研究所は、初代倉敷民藝館館長の外村吉之介氏により倉敷民藝館付属工藝研究所として設立されました。ノッティングだけでなく、テーブルセンターやコースター、ネクタイや袋物など、現在でも丁寧な仕事がこの手織研究所そしてその卒業生によって作られ、現在でも倉敷の美観地区にその研究所があり精力的に活動を続けられています。
佐藤隘子工房では、倉敷手織研究所創設者であり初代館長である外村氏の教えである意図を無駄にしないという考え、そしてその教えを受け継いだ佐藤さんの意図を無駄にしないというノッティング作りの流れを汲み、他の作家さんと比較すると毛足が長いのが特徴です。そのため、圧倒的な座り心地のよさは一度ご利用頂くと皆さん驚かれるほどです。写真のように1枚1枚丁寧な手織りによる作りとなっていますが、毛足が長いため毛足が短い他の作家さんのノッティングと比べてご使用いただくうちに毛足がどうしても倒れます。気になる方はコロコロや手で毛足を整えて下さい。毛足が長くかつ毛足が倒れないというのは両立ができません。それも佐藤さんそして武内さんのノッティングの特徴として捉えていただければと思います。
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倉敷を訪れると、飲食店で日常のものとして数十年に渡り使われているノッティングを目にします。是非皆様のご自宅で生活の一部としてご愛用頂けると嬉しいです。
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略歴
佐藤 隘子(さとう いくこ)
1932年生まれ
倉敷本染手織研究所卒業
19歳から手織りでテーブルマットやコースター、ノッティングなどを手がける。
武内 総野(たけうち その)
岡山大学教育学部 特美「特別教科 美術・工芸教員養成課程」を卒業後、叔母の佐藤隘子に師事しノッティングの制作を続ける。